「ピタジュマジック」カウントダウン企画“ピタジュが出来るまで”

ピタジュ結成秘話“ピタジュが出来るまで”

※このストーリーはピーターパンJr.の結成までに迫る連載企画です。2017年の現在進行形の話ではありません。登場する人物、ストーリーは全て過去のエピソードです。ピーターパンJr.のリーダーTAKUROを主人公としてお話を進めて参ります。

 

☆第十三話「加速するストーリー」

「たくちゃん。俺決めたわ。一緒にやろう。」

心の整理がつき、どこか吹っ切れたような口ぶりでDANは話し始めた。

「俺、今までの部活とか振り返ってみてもチームスポーツが好きで。それは身体を動かすっていうのも勿論そうなんやけど、皆で一つの目標に向かって頑張るっていう、そこが一番好きなんよな。だから音楽も、一人でやろうなんて思ったことも無くて。確かにTOMOYAがこんなことになってもうたけど、正直今はせっかくこんなに頑張って来たのにここで辞めたく無いなってのが本音。でも俺は、やっぱりデュエットの相方はTOMOYAしか考えられへんし、TOMOYAとじゃないならデュエットで活動するつもりは無いねん。」

“確かに…”

TOMOYAの代わりが務まるはずが無いと思っていた僕は、心の中でそう相槌を打った。

「そこでちょっと考えたんやけど、三人組で活動するっていうのはどうやろう?」

「三人で!?」

予想外の提案につい声を上げる僕。まぁ話を聞け、と言わんばかりにDANは続けた。

「たくちゃん、ベリーグッドマンって知ってる?」

ベリーグッドマンとは、MOCA、Rover、HiDEXからなるの三人組で、その当時めざましテレビをはじめTV、雑誌、ラジオ各種で激プッシュされていた期待の新人グループだった。実はこのベリーグッドマンは三人とも僕たちと同い年、大阪出身ということもありイベントやライブでもよく一緒になったりKLEARに関しては楽曲を提供して貰ったりと交流の深いグループだったのだ。かく言う僕も、MOCAとは二十一歳の時にとあるオーディションのファイナリストに選ばれてからの付き合いだった。ソロのMOCAとRover、HiDEXからなるルーフィーとして元々別々に活動していた二組みが融合し誕生したこのグループ。僕たちとなんら変わりの無い“下積み時代”を過ごしていたはずの二組みが、こうして融合することによって大きな舞台へと一気に駆け上がる様は、当時の僕たちの一種の希望の光になっていた。

確かに二人組のツインボーカルグループにはケミストリーをはじめEXILEやそのフォロワーなど数え切れないほどの強敵がいる。いや、むしろそれは強敵というよりは絶対的な存在のようなものかも知れない。そこで、ベリーグッドマンのような珍しい“三人組”を組んでみてはどうか?その当時まだ数の少なかった三人組みという編成であれば、もしかするとチャンスはあるのかも知れない。というDANの提案に、納得出来るところも多かったが、僕は一つの疑問を拭いきれないでいた。

「でも、もう一人はどうするん?」

僕がその台詞を口にするの待っていたかのような口ぶりでDANはこう言った。

「良いアイデアがあるねん。Nissyanを誘おうと思ってる。」

そこからDANはNissyanが当時から一緒にグループとして活動しよう、と冗談交じりで話していたことや、KLEARのライブでもギターのサポートとしてよく参加してくれていた事など沢山の話を僕にしてくれた。僕も去年Nissyanに初めて会った時、コイツは良い奴だ。と一瞬にしてNissyanの魅力に引き込まれた記憶があったし、悪いイメージは全くといって良いほど無かったのである。それどころか、DANからNissyanの名前が出た時点で“その手があったか。一緒に出来るなら嬉しいな。”と直感で思ってしまっていた。

しかし気になるのは肝心のNissyanに“本当にその気があるかどうか”である。三人組を組んでみてはどうか?という僕たちにとって、Nissyanの加入は大きな意味を持つことは確かだが、NissyanにはNissyanの音楽ビジョンが当然あるだろうし、そこに“僕たちと三人組になる”というプランが直結するのだろうか?僕はそう思っていた。

そしてもう一つは「音楽に対してどれほど本気なのか?」という疑問だ。

故郷を離れた東京という街で、誰にも頼ること無くここまで活動を続けてきた僕とDAN。その一方でNissyanはというと地元の兵庫県を離れることなくこれまで音楽活動をしていた。

上京をすれば良い。というわけでは勿論無いが、住み慣れた地元を離れて勝負をする。ということには沢山の意味があり、誰も自分のことを知らない街で一から全てを積み上げていくその中で、人は忍耐力や根性が培われ、劣悪な環境に直面する事で“本当に自分は音楽をやりたいのだろうか?”という岐路に何度も立たされる事になるだろう。肝心なのはその全てに打ち勝って行けるかどうかだ。どんな分岐点に立たされたとしても他の何より“音楽”を選べるかどうか、一八歳で大阪に移り住んだ僕にはそれがいかに大切なことか、感覚的に分かっていたのである。

“今夜Nissyanに会いにいく”というDANに、僕は不安を正直に伝え“本当にその気があるのか”“本気かどうか”を見極めて来てもらうことになった。

「Nissyanならきっと大丈夫。」

そう言って笑うDANがショックを受けなければ良いが、電話を切った僕は少しそんな風に思っていた。

そしてその夜。時刻は深夜の一時を迎えようとしていた頃だっただろうか、うとうとと少し夢見心地の僕をDANからの電話が呼び覚ました。“良い報告であってくれ”と願いながら電話に出る僕に、DANは開口一番にこう伝えた。

「ダメだった…。」

僕の悪い予感は的中した。どうやらDANの話によると、Nissyanは現在ソロアルバムの製作中で、そのアルバムの制作にはスポンサーが付き、制作費を全額出してくれるという条件が付いていたそうだ。そしてソロアルバムが発売した後は関西での音楽フェスなどへの出演も検討されておりここからが勝負、といった状況だったという。

これには流石の僕も笑うしか無かった。滅多に出くわさないそんな好条件を蹴ってまでNissyanが僕たちと一緒に音楽活動をするメリットはどこにも無い。僕たちにはアルバムの制作費どころか、今後のスケジュールすら無いのだから。

しかし、諦めるしか無い、という僕とは裏腹にDANは少し違った考えを持っていた。

「一回、たくちゃんからも話してみてくれへんかな?」

DANの話はこうだった。昔から自分は説明が苦手で、熱い気持ちや感情論は得意だが、物事を理屈を立てて正確に伝えることが出来ないという。今回のNissyanの件もその一例で、ソロアルバムの制作にまだ“少し迷いを感じている”Nissyanを、自分では説得しきる事が出来なかったというのだ。その一方で、僕の“物事を正確に説明する能力”をかってくれていたDANは“たくちゃんが話せばNissyanは考えを変えるかも知れない”と思ったのだという。

音楽グループを組む時、大事にしている部分はそれぞれのグループによって異なるだろう。例えばスキルや歌唱力。より高度な音楽を表現し、観客に技術を使って感動を与えたいと思うグループもいるだろう。または音楽性。グループ全員が同じ音楽性を持ち、自分たちの好きな音楽への探求とコアなファンへの共感を求めたいと思うグループもいるだろう。僕たちにとってのソレは、まさに“人間性”だったのである。この物語を通して何度も「音楽には人となりが表れる」と言ってきた僕だが、やはり僕たちは自分たちの信頼をおける人間以外とグループを組むことは例え技術がいくら高かろうと、音楽性でいくら共感出来ようと全く考えることは出来なかったのだ。

その点Nissyanはというと、DANとは大学からの付き合いで充分人間性が優れているということは分かっている。僕が直感したのもそうだが、何よりDANがそう言うのだから間違いは無い。Nissyanが心からそのソロプロジェクトを進めたいと願っているのであれば話は違ったが、DANから聞いた「まだ少し迷いを感じていた」という言葉に“一度話してみる価値はあるかも知れない”と僕はそう思った。

これまで幾度となく僕を、その“行動力”で引っ張ってくれたDAN。そんなDANが頼ってくれたということが純粋に嬉しかったし、自分たちにとってNissyanという存在はこれからの活動に必要不可欠な存在であると、DANからの話を聞いた僕はその時既にそう思い始めていた。

「分かった。一度話してみる。」

DANにそう伝えた僕は、早速NissyanにLINEで連絡を取り後日電話をする約束をした。

滅多にないチャンスを目の当たりにしているNissyanが僕たちに力を貸してくれるには、それ相応のプランが必要だ。それから僕はNissyanとの約束の日までの数日感。寝る間も惜しんでこれからの活動についてのリサーチをした。これまでの経験から“不可能な事など無く、それは方法を知らないだけだ”と感じていた僕は、今の僕たちでも夢を叶えられる方法が必ずある。と信じて情報収集とプランニングを繰り返した。

そして迎えた約束の日。何度も計画を練り直していく中で、どうしてもNissyanという第三のメンバーの存在が必要不可欠だと確信した僕は、今考えられる最高のプランを組み立て、万全の状態でNissyanとの交渉に臨んだ。

「もしもしお久しぶり、Nissyanです。」

そこには前回会った時と何も変わらない。優しく人懐っこい声のNissyanがいた。

「最近どう?」

僕の問いかけに素直に現状を伝えてくれるNissyan。自分の耳でも現状を把握したいと思っていた僕はゆっくりとNissyanの話に耳を傾けた。最後まで話を聞き終えた頃だっただろうか、僕は確かにDANが感じていたのと同じような「迷い」のようなものをNissyanから感じ取った。

これから先、本当に自分は一人でやっていけるんだろうか。自分が音楽を通して伝えたいメッセージとは何なのだろうか。制作費を出してくれるスポンサーの人が納得するだけの結果が出せるのだろうか。様々な不安要素が迷いとなり、Nissyanの一歩を邪魔していたのである。

“ただより高いものは無い”皆さんもこんなことわざをご存知だろう。僕はNissyanの不安の根源はその“スポンサー”にある。と何となくそんな気がした。

お金を出して貰う。ということは“自分だけの責任で行動出来ない”ということだ。自分でお金を出してミスをしてもそれは百パーセント自分の責任で、ダメージを食らうのは自分だけ。その代わり、誰かを自分のせいで巻沿いにすることも絶対に無い。常にそのスタンスで勝負をして来たNissyanだからこそ、俯瞰から見ればおいしいその条件を少し窮屈に感じてしまっていたのだ。

「Nissyanらしく音楽を表現出来ないんなら、それって意味あるんかな?」

我ながら本当に卑怯な台詞だということは分かっていた。しかしこれからのプランを立てていく上で、どうしてもNissyanの存在が必要だと確信していたその時の僕に、なりふりなど構っている余裕は無かったのである。

「いや、何も知らんたくちゃんにそんなことを言われる筋合いは無いけど。」

そこから僕たちは一時間あまりの口論になった。Nissyanの現状やこれまでの活動など、何も知らない僕が口にした無神経なその台詞にNissyanは本当に腹を立てた様子だった。

Nissyanの言っている事はごもっともだったが、僕も引き下がるわけにはいかなかった。僕たちのこれからが掛かった交渉だという事は勿論、このままNissyanが中途半端な気持ちでソロプロジェクトを進めると絶対に後悔することになると感じていたからだ。希望的観測だったかも知れないが、僕がTOMOYAに音楽を辞めることを打ち明けた時のような“誰かに止めてもらいたい”という雰囲気を僕は無意識にキャッチしていた。

ひとしきり自分の気持ちを吐き出したNissyanは我に返った様子で

「ごめんたくちゃん。こんな事言うつもりじゃ無かってんけど。」

と申し訳なさそうに僕に謝った。

そこから僕の交渉が始まった。これからの僕たちのプラン、そこに信頼出来るNissyanという存在がどうしても必要だという事。そしてこのプランはNissyanがNissyanらしく音楽を表現出来るものだという事。そしてこのプランが僕たちにとって“最後の勝負になる”という事。もともと話の長い僕だが、この日の電話は本当に長かったと思う。夜更けに始まったはずのNissyanとの電話はその時既に日の出を迎えていた。

しかし考えてみれば当然の事である。これは東京に同じように在住している者同士がグループを組むのではない。僕たちは関東と関西という全く別の場所で生活をしている者同士なのだ。そこには普段の生活があり、住み慣れた環境があり、何より現在の音楽の活動拠点がある。僕たちとNissyanがタッグを組むという事はその全てを捨てて環境を変える。という事なのである。ましてやNissyanにとってこの三人組ユニットでの活動プランは全く予想だにしない出来事だ。一世一代の決断をそんなに易々と決められるはずが無い。

“今夜中の決断は難しいだろう…”

僕が一度考えてみて、と口にしようとしたその時、

「やるわ。たくちゃん。俺、東京行くわ。」

Nissyanはその日一番の声でそう答えた。

当然その返答を期待してはいたものの、あまりにも突然のその返答に僕は言葉を失った。

「やっぱ俺、誰かに遠慮しながら音楽をするとか性に合わへんし、このままやと自分自身、音楽で何を表現したいのかすら見失ってしまいそうやねん。たくちゃんと今日話をしてて自分の中でそれに気付けてすっきりした。確かに険しい道かも知れんけど、俺のことをそんなに必要としてくれるのも嬉しいし、たくちゃんと人生かけて挑戦したくなった。一緒にやらせて欲しい。ただ、こっちで片付けなあかん事があるから少しだけ待ってて欲しい。絶対そっちに行くから。俺、もう決めたから。」

Nissyanはそう続けた。

僕のプランを信じ、ありがとうと伝えてくれるNissyan。数時間にも及ぶ交渉の結果、ついに僕の思いは届いたのだ。Nissyanはソロアルバムリリースの話を蹴って僕たちとグループを組むことを約束してくれた。

今後の計画や細かな予定など、今話すべき事をしっかり話し合った僕たちは「さっきはゴメン」とお互いに謝りあって電話を切った。

興奮の冷めやらない僕は今が何時なのか確認する事もせず、DANに結果報告の連絡を入れることにした。

「マジで!?ほんまに言うてるん!?」

寝起きにも関わらず、待ち焦がれた僕からの報告にDANはいつになく高揚した様子だった。

話の内容、これからの計画など入念に情報共有をした後、僕たちは次に会う日の約束をした。DANとの会話はとても有意義な時間となった。

そしてこの日僕は、これでようやく長い長いトンネルから抜け出せる。どこかそんな予感がしていた。

時は流れ一月も半ばに差し掛かった頃、ようやく再会を果たした僕とDANは、僕の住むアパートでこれから三人が運命を預ける“船の名前”を、まず初めに決めることにした。

名前は後から付いてくる。とも言ったりするが、僕たちにとってグループ名は、これから先の命運を分ける非常に重要なもの。という認識だったので最終決定を下すまで、実際かなりの時間を要した。

昼過ぎに集合したというのに二十二時を迎えてもいっこうにグループ名の決まる気配は無い。候補はいくつか出ていたがどれも今ひとつ納得がいかなかった。

これから自分たちの表現していきたい音楽を踏まえた名前で、尚且つ一度聞いたら頭から離れない名前。

焦る気持ちを抑え一人で頭を抱える僕に、DANは温かいお茶をいれてきてくれた。

「少し休憩しよう。」

あまり考え込み過ぎても良いものは出ない、というDANの言葉に納得した僕は大人しく休憩をすることにした。

DANのいれてくれたお茶を飲みながら、他愛もない会話を続ける僕たち。するとそんな会話の中で何気なくDANがこんな一言を口にした。

「俺らってピーターパンみたいやな、いつまで経っても子供やし。」

確かにと笑う僕だったが、何故かこの時、この“ピーターパン”というキーワードが僕の胸に引っ掛かった。

突然黙り込む僕を心配そうに見つめるDAN。僕は何かに導かれるかのように“ピーターパン”というキーワードをネットで検索し続けた。

少年のままで居続けようと望んだピーターパン。そこには大人になるにつれて自分の中に芽生えていく“諦め”や“悟り”に立ち向かう覚悟のようなものを感じた。そしてそれは二十五歳で東京に上京する事を決めた時、自分が納得するまで走り続けようと誓った僕たちと、どこか重なる部分があった。

“ピーターパンの意思を継ぐもの、ピーターパンJr.”

「これだ!!」

思わず声を上げた僕にDANは微笑みながらこう言った。

「決まったな。ええやん、ピーターパンJr.」

「ピーターパンの子どもってことは子どもの子ども、くそガキってことになるけど大丈夫かな?」

照れ隠しの僕の台詞に

「その方が俺らっぽい」

とDANは笑った。

こうしてピーターパンJr.として航海へ旅立つことを決めた僕たち。

しかし運命は、

一致団結を図る三人に最後の試練を与えようとしていた。

 

to be continued…