「ピタジュマジック」カウントダウン企画“ピタジュが出来るまで”

ピタジュ結成秘話“ピタジュが出来るまで”

※このストーリーはピーターパンJr.の結成までに迫る連載企画です。2017年の現在進行形の話ではありません。登場する人物、ストーリーは全て過去のエピソードです。ピーターパンJr.のリーダーTAKUROを主人公としてお話を進めて参ります。

 

☆第十一話「もう、終わりにしよう。」

「TAKUROに謝らなあかんことがあるねん…」

そう切り出したKeisuke。

初のオリジナル曲「LoveStory」の評価やライブチケットのお届け枚数。全ては順調に進んでいるように思えていた。

しかしそれは“Keisukeが上京し、僕と二人でユニットを組む。”という前提条件があってこその話だ。

ソロシンガーには類稀なる沢山の才能が必要だ。

歌唱力、作詞作曲能力、そしてビジュアル。

この全てが揃っていたとしても、ソロシンガーとして生き残れる人は本当に一握りだろう。

男性のソロシンガーとして現在活動しているアーティストが少ないのがその何よりの証拠だ。

その他にも言い出せばきりが無いくらい様々な理由があるが、年齢のことを考えても、自分がソロシンガーとして大成するのは難しい。僕はそう考えていた。

「やっぱり俺、東京には行かれへんわ。」

Keisukeの話はこうだった。

あの日の僕との電話の後、二人で組むユニットの曲作りなどを進めながら沢山の先輩アーティストや音楽関係者に東京行きへの意見を仰いだ。するとそのほとんどの人から猛反対を受けたのだそうだ。

「関西で成功出来てない奴が東京に行ってどうにかなると思ってるのか」

仰るとおりといったところである。

そして今回の決断はアドバイスを聞いたうえでKeisukeなりに何度も考えた結果出した答えだった。

勿論僕も反論しなかったわけでは無い。いや、むしろこの決断を覆そうと何時間も説得を続けた。

少しずつ変わってきた現状で今僕が感じている手応え、一度は信じられなくなっていた音楽の力。そして考えて行動することで夢は目標に変わるということ。

“僕が言ったら何とかなるだろう”

心のどこかでそう思っていた僕は、しつこいくらいに話をした。一方的に電話を切られても文句が言えないほど、それはそれはしつこい奴だったと思う。それだけKeisukeとのユニットには可能性を感じていたし、その時の僕にはそれ以外の名案は思いつかなかったからだ。

「まだ大阪でやり残したことがある」

数時間にも及ぶ僕の必死の抵抗はKeisukeのこのひと言でついに幕を閉じた。

僕には僕の人生があるように、KeisukeにはKeisukeの人生がある。どちらも同じ方向を向いているのなら共に歩いていけば良いが、もしそうでないのであれば強要することは出来ない。

「そりゃそうだ。ごめんな。」

やっと我に返った僕は、これまでの発言を含めKeisukeに謝罪をした。熱くなる中で本当に失礼なことを沢山言ってしまった。Keisukeのことを全否定するような言い回しもしただろう。

「TAKUROが謝らんでええ、俺の方こそ本当にゴメンな。」

そう。Keisukeが僕を責めたことは一度も無い。責めるのはいつも僕の方。僕ばっかりだ。

いたたまれない気持ちを堪えながら僕は電話を切り、しばらく一人夜道を歩くことにした。

“何だか音楽っていうのは恋愛に似ているな”

この日見上げた夜空は何故だかとても大きくて、自分が本当にちっぽけな存在に思えた。

「またTAKUROの作った曲聴かせてくれよ、二人であーだこーだ良いながら曲作ろうぜ。」

Keisukeの最後の言葉だけが、何度も虚しくリピートされていた。

それから一体どれくらいの間だっただろうか、完全に戦意を喪失した僕は、ただただ作業的にDANとの路上ライブを繰り返していた。

それでも不思議とチケットを届けられていたのは間違いなくDANのマンパワーのお陰だっただろう。

「絶対後悔させません。僕たちが絶対に楽しませます。」

路上で足を止めてくれた人たち全員にDANはそう言っていた。その言葉には自信が溢れ、これからの未来への希望に満ちていた。

もしこれを言われたら信じずにはいられない。隣で聞いている僕がそう思ってしまうほど。

日々達成感と充実感を噛み締めているDANに、僕はKeisukeとの話が無くなったとはどうしても言えずにいた。

ユニットの話はDANに一番に報告をしていた。まるで自分のことのように喜んでくれたDANを見て、例え今だけでも、こんな良いやつと一緒に歌える自分は幸せだ。そう思ったものだった。

そんなDANに余計な心配を掛けたくないという思いと、打ち明けてしまったら受け止めたくない現状が現実のものになってしまいそうで怖かった。

ユニットの話が無くなったのは紛れも無い事実だというのに。

悪いことは重なるもので、ショックから立ち直れずにいる僕に世間は厳しく現実を叩き付けた。

それはある日の路上ライブでのこと。僕たちはいつものようにカバー曲をパフォーマンスしていた。レパートリーの一つだったHYさんの366日を歌い終わった時だっただろうか、

「こっちの兄ちゃんがサビを歌え、お前は声が小さい」

そう僕に声を掛けてきたおじさんがいた。

この当時、歌唱部分の割り振りは僕もDANもほぼ半分半分。特にどちらかがメインボーカル。ということは決めていなかった。あくまで僕たちクリタ君はKLEARとTAKUROの融合ユニットだったし、常に立場は対等。という感じだったので別にその部分に疑問を抱くということも無かったからだ。

「僕たちはどちらかがメインということはありません。二人で交互に歌っていますので。」

DANはあっけにとられた僕に代わって説明をしてくれた。

「お兄ちゃんの声は好きや、ただコイツの声は小さくて何を言ってるか分からん。」

少し酔っていたのだろうか、とにかくその人は僕のことが気に入らない様子だった。

「おじさんが僕の声を好きだと言ってくれるように、TAKUROの声が好きだという人も沢山います。交互に歌うことはこれからも続けていきます。」

強めの口調のDANからは“これ以上変なことを言うなよ”という威圧感すら感じられた。

何かを感じ取ったのか、そのおじさんは申し訳なさそうに僕たちのCDをそれぞれ購入してそそくさとその場を去っていった。とは言ってもこれも、初めはKLEARのCDだけで良い、と言っていたおじさんに「TAKUROのも買わないのなら僕のも売りません。」とDANが頑なにKLEARのCDの販売を拒んだからなのだが、

「俺、昔からおじさんによく好かれるねん。あんま気にせんようにな。」

おじさんの言葉が辛かったんでは無い。DANの優しさが僕の胸を締め付けた。

自分の都合で勝手にモチベーションが下がっていた僕。歌は人となりが表れると話したことがあったが、その日の僕はきっと最低だっただろう。

「どうせ酔っ払いやし、あんな奴のことはほっといたらええから。」

必死に僕を励まそうとしてくれるDAN。悔しさと情けなさが爆発して涙を堪えるのがやっとだった。

“もう、終わりにしよう。”

僕はこの日の帰り道、初めて歌うことを辞めようと思った。

十八歳でミュージシャンを志した時から、音楽はいつも僕の味方であり恋人だった。何をする時も音楽が最優先。遊びもプライベートも全てを削って音楽に人生を費やしてきた。もっと辛い思いをしたこともあったし、苦しい思いをしたこともあったはずだ。しかし何故だか音楽を辞めたいと思ったことは一度も無かった。

自分が自分である為に音楽は必要不可欠な存在だったからだ。

週に三~四回の路上ライブや今後の不安で心身ともに疲労がピークに達していたということも関係したかも知れないが、僕の目の前には分厚い雨雲がどこまでも続いている様に思えた。

どうあがいてもその雨雲から光を見つけ出せない。

現役のスポーツ選手が突然の引退会見を開く。何だかその気持ちが少しだけ分かった気がした。

“これが限界ってやつか…”

自分を自分が信じられなくなった時、きっと人間は限界を感じるのだろう。これから先の自分の未来を何度シュミレーションしてみても、そこにミュージシャンとして活躍している僕の姿はなかったのである。

二十五歳で東京に上京すると言い出した僕、しかも理由がミュージシャンになる為。そんな馬鹿げたことを言う僕を信じて疑わず背中を押してくれた一番の理解者がいる。

そう、それは他でもない“母親”だ。

音楽を辞める、ということは信じてくれた母親の気持ちを裏切る。ということ。まず僕は、今のこの決断を誰よりも先にそんな母親に伝えなければ、と思った。

「もしもし、久しぶり!twitter見てるよ。今日も路上だったんでしょ?」

これから僕がどんなに不義理なことを話すかも知らない母親は、いつものように上機嫌で電話に出た。

Keisukeとのグループの話、自分が信じられなくなった話、今の心境を隠すことなく全て打ち明けた僕に、母親はそっとこう言ってくれた。

「愛媛に帰って来たら良い。こっちで皆で暮らそう。」

「今までそんなことを一度も言ったことが無いあんたがそう言うなら、よっぽど限界なんだと思うよ。他にも楽しいことはいっぱいあるんだし、使命感なんかじゃなく自分が生きたいようにこれからは生きなさい。」

思わず涙が零れ落ちた。

母親には何もかもお見通しだったのである。

音楽の専門学校に進学を許してもらってからというもの、僕は一種の使命感にさいなまれていた。

大学に行きなさい。という父親を「この子の人生なんだから」といつもかばってくれた母親。どんな時でも「自分の道を自分の力で進むあんたは私の宝物だ」と応援してくれた母親。僕よりも僕のことを信じてくれた母親へ恩返しをするまで、絶対に音楽は辞められない。心のどこかにいつもその思いがあった。

「ちょっとお母さんの期待がプレッシャーになっちゃったかな?ごめんごめん。」

そこからはもう涙で言葉が出てこず何を話したのかあまり覚えてはいないが、今まで一人で抱え込んでいた心が一気に楽になったような不思議な感覚だった。

「DANくんとTOMOYAくんにはちゃんと話したの?三人でやってるんだからちゃんと言いなさいよ。」

母親にそう言われた僕は、気持ちを落ち着かせ二人に思いを告げることにした。

僕がこうして東京で活動出来ているのも、何も無い僕をTOMOYAが誘ってくれたからだ。まずは僕にきっかけを与えてくれたTOMOYAにこの決断を正直に伝えよう。

TOMOYAの容態が悪化してからというもの、しばらく電話が出来ていなかったせいもあったが、これから話す内容でTOMOYAが落ち込んでしまわないか、がっかりさせてしまわないかと心配で、この時妙に鼓動が早かったのを覚えている。

数十秒のコール音の後、僕が日を改めようと電話を切ろうとしたその時

「もしもし、お疲れ」

少し鼻に掛かったような、甲高い特徴的な声でTOMOYAは電話に出た。

僕の声のトーンを聞いて、すぐにいつもと違う雰囲気を察知したTOMOYAは

「どうしたん?」

と優しく僕に問いかけてくれた。

ゆっくりと少しずつ今の心境を打ち明け始めた僕。本当に二人に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

全てを話し終え、しばらくの沈黙が続いた後、

「たくちゃんがそんな正直に打ち明けるなら、俺も話さなあかんやん。」

TOMOYAはこう切り出した。

そしてこの後、僕は自分の悩みなど一瞬にして消え去るほどの衝撃の事実を耳にすることになる。

運命とはどうしてこんなに残酷なのだろうか。この夜のことは二度と忘れない。

 

to be continued…